社会起業家ストーリー

~すべてのこどもの笑顔をつくる~ NPO法人子育て支援センターちびっこはうす 理事長 宮澤由佳さん

社会起業家になるきっかけ

20年以上にわたり、山梨のこどもと子育てママたちを応援しつづけ、山梨の子育て環境を変えてきた宮澤さんとNPO法人子育て支援センターちびっこはうす。
この宮澤さんが、現在のちびっこはうすにつながる活動をはじめたきっかけは、ご自身が出産して感じた不安にありました。

愛知県から山梨県に嫁いできた宮澤さんには、子育ての仲間を作りたいという強いニーズがあったそうです。山梨へ来た当初には、孤独は感じなかった宮澤さんですが、こどもが生まれた途端、いいようのない孤独感に襲われて不安でいっぱいになりました。とにかく自分と同じような母親と話をしたい!情報交換をしたい!!という気持ちが強くなっていき、お子さんが3カ月の時に自ら子育てサークルを作ろうと決意したのです。
新聞の情報コーナーで呼びかけると、県内から50通を超える賛同者の手紙が届き、その手紙が「私だけじゃない」と宮澤さんの背中を押したのでした。

ソーシャルチェンジをおこしたこと

発足から22年目となる現在、NPO法人子育て支援センターちびっこはうすの主な活動は3つあります。1つめは、子育て情報紙「ちびっこぷれす」の発行。B5サイズ46ページの情報誌を毎月13,000部、無料配布し、毎月200万円の広告収入を得ています。2つめは、子育て支援センターの運営。韮崎市からの委託を受け、毎月4,000人が利用しています。3つめは子育て応援イベントの開催。100人から15,000人までのイベントを毎月開催し、たくさんの協賛企業が出展しています。

宮澤さんの活動の原点は、自身が子育てのなかで「共感できる仲間」と、「明日どこの公園に行けばいいのか」といった「生の情報」が欲しいと切実に感じたことにあります。
50通を超える手紙に後押しされた宮澤さんは、いつか幼児教室をやりたいと建てておいたプレハブの教室を利用し、子育てサークル活動を開始しました。始めは7組の親子でスタートしたこの活動では、毎週1回、手遊びや手作りおもちゃ、絵本の読み聞かせ、誕生会などを行い、天気の良い日には、みんなで散歩をしたり、庭に水をまいて、どろんこあそびを楽しみました。当初、宮澤さん一人で運営していた活動も、気がつくと母親達みんなで協力し合いながら活動するようになきました。

「ちびっこはうす」の活動が1年経つ頃には、利用者は100組を超え、その中から「私もこういうサークルを運営してみたい」という母親たちも出てきました。「ちびっこはうす」で習った遊びを地元へ持ち帰り、地域の母親たちに教えてあげたいというのです。宮澤さんは大歓迎で応援し、いつしかその活動は県内中に飛び火し、たくさんの子育てサークルが誕生していき、母親たちの居場所を県内のあちこちに作っていったのです。

また、子育て情報が欲しいと言う母親たちのニーズに応えて、3年目には子育て情報紙「ちびっこぷれす」の無料配布を始めました。はじめは母親たちが手書きし、B4二枚100部を発行していましたが、年々発行部数が増え、コピー機をリースしたり、印刷機を導入したりしながら、手書き手刷りで4,000部まで伸ばしました。2005年には、初めての男性スタッフがちびっこぷれすの編集長として加わり、カラー印刷B5判48ページに進化させ、現在の13,000部無料配布にまで発展していったのです。

母親たちへの支援は、企業との連携することでさらに拡大し、「子育て応援番組」の制作がはじまったり、「子育て応援イベント」の開催には、企業がビジネスチャンスを求めて出展するようになりました。そして、15,000人を集客する「こどもの城フェスタ」といったビッグイベントの開催まで出来るようになっていったのです。

宮澤さんの活動のオリジナリティは、それまであった「子供だけ」、「親だけ」を相手にする活動ではなく、親子が一緒に楽しめる独自のプログラムを提供したことにあります。
宮澤さんは、もともと保育士をしていた経験と、自らの子育て中に感じた経験を土台に、親子が一緒に出かける場を提供し、孤独な子育てから解放したのです。

「いま」と「これから」

こどもの笑顔を増やすため、常にチャレンジを続ける宮澤さんは、2009年に「こどもプロジェクト株式会社」を設立し、2011年には「社会福祉法人こどものあした福祉会ちびっこはうす保育園」も設立しました。新しい法人を設立することは、組織内部でも大きなチャレンジとなりましたが、そのたびに組織はより強く柔軟になっていきました。この3つの法人がうまく関わり合いながら「ちびっこはうすグループ」となって活動をさらに広げていくことでしょう。